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「涛龍」の疑問点 [詰将棋]

 お久しぶりです。
 今回、たまには詰将棋作品について本格的な論考文を書いてみようと思い立ちました。しばしお付き合いください。

 先日「看寿賞作品集・完全版」が刊行されました。作者・柳田明連盟会長のライフワークと位置づけされているだけあって、実に読みごたえのある1冊です。看寿賞受賞作ばかりですから、作品内容が素晴らしいのは当然ですが、とにかくその解説がすごいです。
 特に、田島作品の超難解・複雑な作品を「これまでやるか」と言いたくなるほど、細かく解説されているところなどは圧巻です。
 未読の方は是非購読されることをお勧めします。

 この作品集を読んでいて、ふと気になった作品がありました。

       touryuu.gif

 158番「涛龍」井上徹也作、平成24年長編賞です。
 回転型龍追い手順中に合駒変換機構を取り入れ、多重連取りと組み合わせたオリジナリティ溢れる傑作です。
 ここでは手順についての論議はしません。手順の方は、それこそ、作品集を読むなり、詰将棋連盟のHPを参照するなりしてください。最初にお断りしておきますが、以下の論考は、手順については十分に把握できていることが前提になっていますので、その点ご了承ください。

 気になるのは、配置面におけるいくつかの疑問点です。

 まず気になるのが「87歩」「76歩」の配置です。これは何故「と金」でなくて「生歩」なんでしょうか?
 もし最初から「87と」であれば、途中(248手以降)88銀合するところで88歩合をする事が可能になりますから、「歩」→「銀」の合駒変換がプラスされるので、1回転分18手伸びるはずです。もし2枚とも「と金」にできれば都合36手も伸びたはずなんです。
 もしそれが可能なら当然そうしていたはずなのに、そうなっていないのはそれなりの理由があるのですが、それはいったい何なのでしょうか?

 さらに言えば、初形でもう1歩余裕があって玉方66歩を追加することさえできれば、最初に66歩を剥がすサイクルが追加できるので、飛躍的に手数を伸ばすことができそうです。
 何故そうなってないのでしょうか?単に駒不足なだけなんでしょうか?駒不足なら双玉にするという奥の手もありそうですし・・・・。

 次は89銀の配置です。一義的には、「飛の横利きを遮断して99角を可能にするため」の配置であることはわかりますが、それだけならもっとスマートな配置がありそうなものです。そもそも何故攻方なんでしょう?玉方でも良さそうですよね?

 その他、初形ではと金群に紛れて目立ちませんが、最後まで残ってしまう「96と」も少し違和感のある配置です。これはいったい何なんでしょうか?

 上記の件について、作意手順を追っても答は出てきませんし、本に記載されている「変化」「紛れ」を全部並べてみてもナゾは解けません。
 これには表面に出てこない重要な秘密があったはずですから、今回はそれを考えてみようというわけです。
 もちろん、「そんなことは全然気にならない」とか「それなら自分は最初から知っているよ」という方はスルーしていただいて結構です。



 まずは、割と簡単に分かるのが「76歩」の理由です。これがもし「76と」であったなら、247手目以降の99角に対して66歩合が可能になり、同角、同ととされ、「66と」の形になってしまうと、以後の龍追いができなくなってしまいます。
 これはさすがに分かりやすいですね。
 ならば、「87歩」も同じような理由でしょうか?
 いやいや、こちらはそう単純ではありません。この問題は一旦保留しておきましょう。

 まずは下図(836手目26角合の局面)を見てください。本の解説ではスルーされているのですが、ここで重要な紛れ筋が存在します。

       836te.gif

 それは26同香といきなり取ってしまう手です。それまでのサイクルでは66地点に空白があったので、問題なく逃れだったのですが、66銀型になった途端にこの紛れ筋が登場するのです。
 26同香、同桂、13龍、34玉、56角打、44玉、43龍、55玉、45龍、64玉、54龍、75玉、74龍、86玉、76龍、97玉と左端まで追って不詰です。ここに至って、「95歩」「96と」の存在理由がはっきりしました。実はこの紛れに備えた配置だったのです。
 つまりは、75銀→66銀と動くと、66地点からの逃れ筋が塞がる替わりに、75地点からの逃れを作っている、という訳でした。

 ここまで来れば、初形で66歩を追加できない理由はもうおわかりですね。66と75の両方が埋まっている場合は簡単に余詰なので、最初からそれは無理だったのです。

 ともかく、75からの逃れ順ができてしまうと、作意手順での龍追いにも支障が生じる可能性ができます。実際、66銀型になった後でも、2回転龍追いをするのですが、それは大丈夫だったのでしょうか?
 これは大丈夫です。作意順では、持駒に銀か香を持っていますので、同じように端まで追い詰めて、銀or香を打って詰むのです。「89銀」はそのための配置であったことがわかります。
 このように、「持駒がある場合は詰み」と「持駒がない場合は逃れ」をギリギリで切り分けるための配置であったわけです。

 ここでさらに問題になるのが、剥がされるべき「と金」群との関係です。
 77・88・99の3枚の「と金」は一方的に剥がされるだけなので問題ありませんが、他の「と金」はどの順番に剥がされるか、玉方に選択権があります。
 さらに「66歩合」をして収束に向かう時期についても選択権があるのは玉方です。
 それはどういうことか、と言うと、中途半端に「と金」を残して収束に入ってしまうことも可能だ、ということになるのですが、
 どんな形で「と金」を残されても、持駒に銀か香がある場合は詰まなければいけない、ということになります。

 ここに来て、ついに「87歩」が「と金」ではダメな理由が判明しました。もし「87と」だと、これだけを残されて収束に入ってしまうと詰まなくなってしまうのです。
 
 当然、作者としても「87と」にできる可能性をギリギリまで探ったのではないかと想像されますが、結局はこの妥協点に至らざるを得なかったということなのでしょう。


 ここで更なる疑問が生じませんか?
 収束の入り方を換えさえすれば、「87と」にできる可能性があるのではないか?ということです。
 
 たとえば、作意の55角以下では詰まないようにして、26同香以下の紛れ手順の方で持駒が余らないような手順で詰むように構成できさえすれば、どうなるでしょうか?
 実際そんなことが可能なのかどうかは別として、仮にそれが可能だったとしたら、どうでしょうか?
 もっとスッキリした仕上がりになりそうな気がしませんか?

 実はそれはダメなんです。

 66銀型になった直後、龍追い手順中、24香合をせずに、いきなり24角合とされてしまう手が成立。これでは不詰になってしまうのです。

 つまりは55角以下で収束させるのが、ギリギリの選択だったことがわかります。

 ちなみに、85銀は何のための配置かわかりますか?
 一見、さっきの詰むか詰まないかの因果関係に関与していそうですが、実はこれには全然関係ありません。
 実際は、75手目77角とと金を剥がした際の変化で、62玉に63歩、同玉、74銀以下で詰めるための配置でした。
 これは作品集にも書いてありますね。
 どうしてこんな回りくどい構造になっているのか気になりますが、この変化で1歩必要なことが重要なポイントです。すなわち、77角とと金を剥がさずに、いきなり33角成と行ったのでは詰まない構造になっているわけです。
 この辺りはさすがにうまくできていますね。

 以上で配置面の疑問点は全て解決したつもりですが、いかがだったでしょうか?

 こうやって考えていくと、創作時の作者の葛藤の一端が見えてくるような気分になりますね。
 とにかく、これが凄い作品であることは改めて認識させられました。

 
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